縄文文化は今まで、あまり知られていませんでした。
歴史の時間に習った知識によると、縄文時代は文化的に遅れた生活で、弥生時代に入って大陸から進んだ文化が入ってきて進歩した・・・といった印象です。
でも縄文時代の人々は、文化的で平和で進んだ生活をしていたようなのです。
縄文時代はいつから?
縄文時代は15000年から紀元前4世紀、縄文式土器を使っていたことから
名付けられた文明です。
稲作が始まるまでが縄文時代です。
どんな生活?
縄文人は、木の実や果物、漁労と狩猟で食物をとっていました。
木の実もそうですが、漁労による貝や魚は一人で沢山持っていても、日持ちがしません。
また狩猟は何人かで協力しなければならないため、縄文人には貧富の差や上下関係などはなかったようです。
竪穴住居に住んでいましたが、3人が収容できる三階建ての建物や、東京ドーム9個分に当たるほど大きな集落の遺跡が発見されています。
竹田恒泰氏によると、縄文遺跡からは彼等が煮炊きした跡も出土しているそうです。
狩猟でとった肉や貝などは調理して食べていたのでしょう。
縄文人と弥生人の違い
縄文人は縄文式土器が発見されて名づけられたのですが、弥生人は東京の本郷にある弥生町から遺跡が発掘されたため、弥生人と名付けられています。
弥生人は稲作を行っていたので、縄文時代とは食生活がガラリと変わります。
民族が全て入れ替わるのは難しいことです。
鑑真のように何回も失敗していたり、とうとう帰国できずに唐に留まった者もいたくらいです。
縄文人と弥生人は、全く違う民族ではない、という意見も多いようです。
この時代の事は、ハッキリしたことがわかっていないため、色んな学者がそれぞれ自説を唱えています。
ここで問題になるのは、縄文人と弥生人の骨格や身長の違いです。
弥生人の方が体格が大きく、顎の形が違うため別民族説があるようです。
でも、稲作が始まったということは、食生活が激変したはずです。
私達、日本人もたった数十年の違いで骨格、身長、顔の形など全く変わっています。
昭和体系のおじさんと、現代の顔が小さくて手足の長い若者を比べると、違う民族に見えてしまうかもしれません。
食生活の変化は、たった数十年でも骨格に大きな変化を与えるのです。
100年200年のスパンだと、もっと変わっているはずです。
縄文人の特徴
縄文人は遺跡から見て、大変平和で穏やかに暮らしていたようです。
同時期、中国の遺跡から発見された遺骨は、大虐殺の跡があって前の王朝を滅ぼした時に残虐なことが行われていた証拠となっています。
でも、日本の縄文時代の遺跡からは、一つの集落で平和に暮らしていた形跡しか発見されていません。
遺跡からは、入浴施設の跡も発見されていて、縄文人も湧き出る温泉につかっていたらしいのです。
また、ストーンサークルも発見されていることから、祭祀も行っていたようです。
縄文時代は、稲作が入る前なので貧富の差、上下関係などがなかったようです。
この頃、ギリシャでは最初のオリンピックが行われています。
縄文人スピリチュアル説
これは最近読んだ本の内容です。
保江邦夫氏という物理学者の本なのですが、縄文人のルーツは人間ではなく霊体であったと書かれています。
人間は肉体を持つ前に、霊体として地球に存在していたという説です。
霞のような状態で、宇宙エネルギーと交信していたとか。
そもそも地球にどうやって生命が誕生して、人間になったのかは不明なことだらけです。
霊体から人間の形になるまで、1万年程かかっているとも書かれています。
こう考えると、縄文時代に人々が争いもなく平和に暮らしていた理由がわかります。
宇宙とつながる霊体エネルギーなので、争って何かを手に入れる必要はありません。
保江教授は物理学者なので、物理学によってスピリチュアルな引き寄せなどについても書いておられます。
先ず、縄文人は想念で自分が作りたいものをイメージして、そこに素粒子が自然と集まって形ができたらしいのです。
現代では、テレポートの技術が研究されています。
霊体と肉体を別々にして、素粒子を集めてもう一度同じ肉体を作る、という理屈です。
保江教授だけでなく、多くの物理学者や臨死体験をした医師たちが、3次元の物理現象について言及しています。
私たちが、「引き寄せの法則」で幸運やお金を引き寄せられるのは、縄文人が霊体エネルギーだった頃にイメージ通りのものを、素粒子を集めることで実現させていた、という説に似ています。
私達も想念で、引き寄せているのですから。
まだまだ謎の多い縄文人と同様、三次元の物理現象や死後の世界、前世についても解明されるかもしれません。