明日はいよいよ安倍元総理の国葬です。
反対デモやってるアベガーの人達が、当日も騒いで顰蹙を買うのではないかと心配です。
国の儀式
国葬について「国会で議論するべき」と執拗に騒いでいる人達がいるのですが、差し止め請求は裁判所で門前払いでした。
当然だけど。
1999年に省庁に再編があり、その時に各省庁で設置法を見直しています。
その時に国葬令については、このように定めています。
- 天皇皇后の葬儀は、憲法に基づく国事行為
- それ以外の政治功労者は、内閣府設置法に基づく国の儀式
この2つに分けたわけです。
内閣設置法では「誰を国葬にするかについては、内閣府にゆだねる」と書いています。
「内閣府で決める」という法律が既にあり、国会で決めるものではありません。
品位の問題
国葬の招待状をわざわざTwitterにアップして、「欠席します」とアピールする国会議員たち。
お葬式やお別れの会を欠席する時に「私は行きません!」なんて周囲にアピールするのは、人格や品性、教養を疑われる行為です。
「行きませんアピール」してるのは誰かと思ったら、やっぱり予想通りの人達でした。
蓮舫は、連合の芳野友子会長が、安倍晋三元首相の国葬への出席を表明したことについて
《『組合員の視点に立った運動を展開するとともに、全ての勤労者・市民に共感される運動をめざす』連合トップの判断。国葬よりも優先されるべきコロナ禍、物価高の労働者支援を政府に求める立場なのでは》と非難しています。
これに対してネットでは
《「国民に弔意を強制する事に反対」と言いつつ、国葬儀に出席する事に異議を唱えるとはね。弔意を表すなと強制する自己矛盾に気付かないのかよ》
《押し付け、強制はあかんと言いながら、他人に欠席を強制させるんですね》
《圧力ですか?「弔意を示さない事の強制」は控えるべきです》
《蓮舫さん、あなた自身がコロナ禍、物価高そっちのけで国葬反対をアピールしていることに気づいていないですね》(yahooニュース)
彼等は、国葬について「弔意の強制はやめろー」なんて言ってるので、不思議に思っていました。
誰も「弔意の強制」なんてしていないのに。
国葬の間、大声出して迷惑さえかけなければ、どこで何をしていようと誰も気にしませんよ。
自分が人に対して『弔意を示さないことの強制』を、何の疑問もためらいもなくできてしまうので、皆もそうだって思っているのかもしれません。
他にも「行きませんアピール」してる人は何人かいるのですが、やっぱり育ちって大事だなって思います。
普通の家庭では、子供の頃から親にマナーや礼儀、常識、相手への思いやりなどを教わるものだから。
あの日、どしゃぶりの雨の中、献花をするために訪れた大勢の人達。
悲しみと怒り、失望の涙を流した人達を愚弄する行為です。
それにしても立憲の人達・・・ここで常識人としてふるまっておけば、少しは見直す人達もいたかもしれないのに。
「政治的には相いれないけど、こんな人間らしい一面もあるのだな」って。
本当の民意
「民意を無視して国葬を行うのか」
「ほとんどの国民は反対してる」
なんて言ってますが、私の周りで国葬に反対してる人なんて誰もいません。
銃撃事件の後、大和西大寺駅には献花に訪れた人達の長い長い列が続いていました。
どしゃぶりの中、大勢が悲しみにくれながら弔意を表すために長時間、雨に濡れながら並んだのです。
また、葬儀が行われた増上寺から国会議事堂、首相官邸、自民党本部と、安倍元総理の棺を乗せた車は移動したのですが、その沿道は大勢の人で埋め尽くされました。
涙を流す人、手を合わせる人、中には「安倍総理ありがとうございます」と声をかける人も。
これこそが民意です。
若い人達、テレビの影響を受けない人達は、安倍政権になってから就職率が上がった事を実感しています。
K国との永遠に続きそうな問題を解決し、毅然とした態度で臨んでくれたこと。
日米同盟の強化、安保法制、教育基本法の改正、開かれたインド太平洋、日米豪印クアッドなど、沢山の功績を残してくれたことも、知っています。
山上を賛美する人達
ニュージーランドのクライストチャーチで起こったテロ事件の後、アーダーン首相は演説の中で
「テロの目的の1つは、悪名をとどろかせることだ。だから私は今後、男の名前を言うことはない。むしろ命を奪われた人たちの名前を呼ぼう。ニュージーランドは男に何も与えない。名前もだ」
と言いました。
日本のマスコミはなぜか、あの取るに足らない男を持ち上げています。
どちらが被害者なのかわからないくらいです。
アレを、殉教者にでも仕立てるつもりなのでしょうか。
普段は「どんな戦争も絶対にやってはいけない」なんて言ってるのに。
自分達に都合のいいテロリストは許せるのかな。