エリザべス女王とダイアナ元妃の関係は複雑でした。
嫁と姑、君主と臣下であるだけでなく、二人の性格や価値観は正反対で互いに理解しがたい相手でした。
エリザベス女王は10歳の頃から、君主となるべく厳格な躾や教育を受けています。
ダイアナ妃の本当の不幸は、夫に愛人がいたことではなく、彼女が立派な皇太子妃となり王室に溶け込めるよう教育し、導いてくれる人が誰もいなかったことでした。
エリザベス女王とダイアナ元妃
ダイアナの家系は遡れば王家に連なる高位貴族で、皇太子妃の実家としては申し分ないものでした。
でも生まれた時から王族として、様々な制約やしきたりを守って生きて来たエリザベス女王にとって、貴族らしい躾を受けておらず、自分の感情のままに振る舞うダイアナは、腹立たしい存在だったことでしょう。
ビクトリア女王の孫にあたるジョージ5世から、薫陶を受けたエリザベス女王は、古い貴族社会の価値観を体現する存在でした。
エリザベス女王の子供時代
エリザベス女王は幼少期から、祖父のジョージ5世と祖母のメアリー・オブ・テックに溺愛され、彼等から王族としての厳格な躾を受けました。
王や貴族に絶対的な権力があった時代の国王夫妻から、王族としての義務や価値観、立ち居振舞いなど、多くのものを受け継いだのです。
ジョージ5世と妻のメアリー・オブ・テック
ジョージ5世はヴィクトリア女王の孫にあたります。
後列右がジョージ5世の父であり、ヴィクトリア女王の息子エドワード7世。
ヴィクトリア女王と一緒にいる子供は、ジョージ5世の兄。
上流階級の掟
ヴィクトリア時代の影響を受けた国王夫妻から、躾を受けたエリザベス女王は「上流階級の人間はかくあるべき」という厳しい規範の中で育ちました。
- 人前で感情を露わにしない
- 弱みを見せない
- 常に体裁を整える
- 本音は上手に隠す
- 義務を果たす
エリザベス女王は生涯、この規範を守りました。
カミラとの因縁
カミラ王妃の先祖アリス・ケッペルは、エドワード7世の愛人でした。
女好きで有名なエドワード7世
愛人だったアリス・ケッペル
王妃アレクサンドラはデンマークの王女。
アレクサンドラ王妃は、国王とアリスの関係を他の多くの愛人の時と同じく、あっさり無視しました。
カミラは初めてチャールズに会った時「私達の先祖は愛人関係だったのよ。私達もどう?」と言ったそうです。
ダイアナ妃がアレクサンドラ王妃のようにカミラを無視してさえいれば、今頃ダイアナは王妃だったのに。
浮気について
夫の浮気を咎めたり嫉妬して取り乱すのは、中産階級の女性がやることとされていました。
上流社会では「何もなかったかのようにふるまう」ことが大事だったのです。
エリザベス女王も度重なるフィリップ殿下の浮気を、完全に無視しています。
浮気によって夫婦仲が悪くなることはなく、女王夫妻は円満な家庭生活を続けました。
ダイアナ妃がカミラとの関係をなじった時、チャールズ皇太子は
「私が愛人を持たない史上初のウェールズ公になるなんて本気で思ってたのか」と
言い返しました。
彼の言葉通り、歴代の国王は例外なく愛人をもっていました。
チャールズは当然ダイアナも、浮気など受け流して家庭生活を続けてくれると思っていたのでしょう。
感情を露わにせず体裁を整えるのは、自分の威厳を守ることでもありました。
エリザベス女王は、フィリップ殿下の愛人の名前を教えようとした侍女を、その場でクビにしています。
侍女がしでかした失敗は、よりにもよって女王陛下を中産階級の女性のように扱おうとしたことです。
その後、気の毒な侍女は自〇してしまいました。
ダイアナ妃の子供時代
ダイアナ妃は、スペンサー伯爵家の3女として生まれました。
ダイアナと二人の姉
父親はスペンサー伯爵の嫡男、母親はファーモイ男爵モーリス・バーク・ロッシュの次女という、上流貴族の家庭で育ちました。
スペンサー伯爵家は17世紀から続く名門です。
ここまで聞くと、エリザベス女王と同じ価値観を持つ貴族の女性と思ってしまいそうです。
- 人前で感情を露わにしない
- 弱みを見せない
- 常に体裁を整える
- 本音は上手に隠す
- 義務を果たす
王室のメンバー達がダイアナに、自分達と同じ価値観を期待したのも無理はありません。
ところがスペンサー伯爵家の両親は不仲で、母親の不倫が公になった事をきっかけに離婚しています。
その後、両親はそれぞれ再婚しましたが、ダイアナは崩壊した家庭で子供時代を過ごしたため、上流の掟を教えられておらず、お手本にするべき存在や、適切な助言をしてくれる近親者はいませんでした。
母親自身が掟破りだったのですから。
家庭教師との関係
両親はダイアナが6歳の時離婚し、親権は父親が持ちました。
母親と離れ、忙しい父親とはあまり会えなかったため、ダイアナは貴族としての価値観や振る舞いを教育されないまま成長しました。
9歳まで学校に行かず、家庭教師がついていたのですが、ダイアナは勉強嫌いで家庭教師泣かせでした。
この頃ダイアナは、気に入らない家庭教師の婚約指輪を奪って、溝に捨てたことがあります。
ドキュメンタリーの中で「彼女泣いてたわ」と言いながら、ダイアナ妃がおかしそうに笑っていたのを覚えています。
ダイアナを「教育する」ことが、どれほど大変なことかがわかるエピソードです。
次に来た家庭教師は、前任者達の失敗から学んでいたため、子供達ともっと多くの時間を過ごすように、父親を説得してくれました。
ダイアナは父親との時間を作ってくれた家庭教師を気に入って、皇太子妃になってからも彼女との交流を続けました。
ダイアナの性格
ダイアナの教育は(ダイアナより立場の弱い)家庭教師に丸投げされた状態でした。
前述の通り、家庭教師達は「ダイアナに気に入られる」ことが第一だったので、誰も厳しく躾けたり勉強させたりはしませんでした。
お気に入りだった家庭教師はインタビューで「ダイアナを教育するより、信頼関係を築く方が大事だった」と述べています。
勉強嫌いだったダイアナは、高校を半ばドロップアウトする形で、スイスのフィニッシングスクールに進みます。
そこでの評価も「ダイアナはお勉強が嫌い」だったようです。
ただ、バレエだけは好きで、よく早朝から一人で練習していました。
皇太子妃になってからダイアナは、気に入らない侍従をクビにしたことがあります。
そのことについてチャールズ皇太子がダイアナの父親に意見を求めると、スペンサー伯爵は「ダイアナは言い出したらききませんから」と言ったそうです。
これらのことからわかるのは、ダイアナには意外とキツイ一面があること。
興味がないことはやらず、我を通すタイプであること。
そして子供時代から、その性格を放置されてきたことです。
もちろん、優しくて愛情深い一面もありますが、天使のように素直ないい子だったわけでもありません。
2人の決定的な違い
エリザベス女王とダイアナ妃の違いは、性格や育ち、価値観だけではありません。
自分の立場についての認識が、決定的に違っていました。
エリザベス女王と王冠
エリザベス女王の周囲には、立派な女王になるよう教育してくれる祖父母や両親、王族たちがいました。
そのおかげでエリザベス女王は、国民からの歓声や賞賛、人気が「自分個人に向けられたものではない」ことを理解していました。
国民は、女王が体現する「王室」に対して、歓声や拍手を送っているのです。
王室は何世紀にもわたって代々の君主と家臣達が、命をかけて守り抜いてきた歴史と伝統を象徴するもので、エリザベス女王一人のものではありませんでした。
まだ25歳のエリザベス女王が戴冠式で沿道を埋め尽くす観衆を見ても、有頂天にならずにすんだのは、君主としての孤独と重圧に耐え、義務を果たす祖父や父を見て育ったからかもしれません。(叔父様のウィンザー公は脱線しましたが)
皇太子妃の立場
前述の通りダイアナ妃には、彼女が立派な皇太子妃となって王室に溶け込めるよう、教育し導いてくれる人はいませんでした。
若くて美しいダイアナ妃は、瞬く間に世界中の注目を集めました。
エリザベス女王とは違い、ダイアナ妃は人々からの賞賛や喝采を「自分個人に向けられたもの」ととらえました。
ダイアナ自身スピーチの練習をするなど、自分がもっと輝くための努力を惜しまなかったので、地味なチャールズとの差はますます開いてしまいました。
皇太子あっての皇太子妃であることを、ダイアナ妃はとうとう理解しませんでした。
チャールズ皇太子は公務先で、自分がまるでダイアナのおまけのように扱われ、妻が自分より注目を浴びることにいら立っていました。
王室内でダイアナ妃だけが突出して目立ってしまったことで、チャールズ皇太子は立場をなくしてしまったのです。
ダイアナと同じ立場だったフィリップ殿下も、若い頃は映画スター並みのルックスでしたが、常に女王の補佐として少し後ろに立って妻を支えました。
彼が女王より前に出て注目を集めたことはありません。
今まで王室で一番注目され、人気があったのはエリザベス女王でしたが、ダイアナ人気は女王を上回るほどでした。
好き嫌いが激しく頑固で傷つきやすいダイアナ妃を教育できるのは、彼女が従わざるをえない人・・・女王夫妻か近親者くらいしかいなかったのですが、誰もその役を引き受けませんでした。
エリザベス女王とマーガレット王女は生まれた時から王室育ち。
外から王室に入った女性に、皇太子妃の役目や心得について自身の経験から忠告したり導くことはできなかったでしょう。
フィリップ殿下も、決して世話好きな甘い男性ではありませんでした。
ダイアナの祖母
ダイアナの母方の祖母、ルース・ロッシュ (ファーモイ男爵夫人)は、エリザベス皇太后の侍女で私的な友人でもあったため、王家の人達について知り抜いていました。
ピアニストでもあったルース・ロッシュ
本来ならこの祖母こそが、皇太子妃となったダイアナの教育係としてふさわしい人でした。
ルースは、ダイアナとチャールズ皇太子の結婚話を聞いた時「あの方達はあなたとは考え方もユーモアのセンスも何もかも違うのですよ」と言って止めたそうです。
彼女はダイアナの性格についても知っていたため、「孫が皇太子妃になる」という名誉を喜ぶことはなかったのです。
この祖母とダイアナの関係は最悪でした。
ダイアナの母、フランセスは不倫相手の妻が起こした離婚裁判で、自身の不倫が公になり家名に泥を塗る形で夫のスペンサー伯爵と離婚しています。
スペンサー伯爵とフランセスの豪華な結婚式
娘の不行跡に激怒したルース・ロッシュは、離婚裁判でスペンサー伯爵の味方をして、フランセスが主張していた伯爵のDV疑惑に対して、「そんなものはなかった」と真っ向から否定する証言をしました。
その結果、子供達の親権はスペンサー伯爵のものになり、フランセスとルースは絶交状態となりました。
母親から悪口を聞いていたせいもあり、ダイアナは子供時代から厳格で貴族的なルース・ロッシュとは、ろくに口もきかない程険悪な仲だったのです。
そのためダイアナが皇太子妃になっても、ルースはダイアナと距離を置き、面倒を見てはくれませんでした。
上流社会の厳しい価値観の中で生きて来たルースには、ダイアナが王室に溶け込めない事をわかっていたはずです。
ルースが歩み寄ったとしてもダイアナの性格上、嫌いな人からの忠告など聞かなかったでしょう。
ダイアナの母親
ダイアナは本来なら母や祖母から上流階級の女性の価値観を、教育されているはずでした。
母親のフランセスは前述の通り自身の不倫が公になり、不名誉な噂をふりまいて離婚しています。
彼女の身分や受けてきたであろう躾を考えると、かなり破天荒な女性です。
ダイアナに皇太子妃としての心得や、上流階級の掟を教育できるタイプではありませんでした。
ダイアナ妃とフランセス
フランセスはダイアナが離婚後、妃殿下の敬称を失ったことについて「ダイアナもほっとしてると思う」という勝手なコメントを出して、ダイアナを怒らせています。
妃殿下の敬称を失ったことは、ダイアナにとって大きな痛手だったのです。
公式の場でダイアナは王子である息子達に対して、膝を折って丁寧な挨拶(カーテシー)をしなければいけなくなりました。
ダイアナ妃の優雅なカーテシー
当時ウィリアム王子は落ち込むダイアナ元妃に「僕がキングになったらママに敬称を戻してあげる」と言ってなぐさめたそうです。
王室内の評価
女王夫妻は、結婚前からチャールズとカミラの関係を知っていましたが、問題視していませんでした。
前述の通り、国王は愛人を持つものだったからです。
ところがダイアナ妃は摂食障害になり、妊娠中に階段から飛び降りようとしたり、チャールズの気を引くために自殺をほのめかすなど、激しい反応を示しました。
普通女王に会うためには、家族であっても事前に面会を申し出るものなのですが、ダイアナ妃はいきなり女王の執務室に入ってきて泣きながら「皆が私のことを嫌ってる。私も皆が大嫌い」と訴えたそうです。
ダイアナ妃は女王が自分の味方になり、夫を叱って愛人と別れさせてくれることを期待していましたが、相手にしてもらえませんでした。
女王自身が夫の浮気など無視して円満な家庭を築いてきたので、その程度のことで大騒ぎするダイアナが理解できなかったのかもしれません。
- 人前で感情を露わにしない
- 弱みを見せない
- 常に体裁を整える
- 本音は上手に隠す
- 義務を果たす
これらの規範から大きく逸脱したダイアナの行動は、女王だけでなく他の王族達からも冷たい目で見られてしまいました。
不倫の暴露
ダイアナはテレビに出演して皇太子とカミラの不倫を暴露しました。
それだけでなく、自分の不倫についても赤裸々に語っています。
結婚前から、チャールズとカミラの関係が続いていたことや、カミラに「夫から手を引いて」と頼んだこと。
それに対してカミラが「これ以上何を望むの?(妻はあなたでしょ?)」と言い返したことなど、暴露された内容は性的なものまで含まれていて、ただでさえ影が薄いチャールズ皇太子の不人気に拍車をかけました。
王室のゴシップは世界中に発信され、面白おかしくネタにされました。
その結果、ダイアナは大衆の同情をひくことには成功しましたが、王室のメンバー達を怒らせてしまいました。
特にフィリップ殿下とマーガレット王女を。
ダイアナは「情事はこっそり行うもの」という上流社会の常識を逸脱して、秘め事や家庭の恥をぶちまけてしまいました。
それは王室にとってケンカを売られたも同然の事件だったのです。
もともと気性の激しいフィリップ殿下は「そんなに王室がイヤなら今すぐ出ていけばいい。戻ってくるな」と声を荒げたといいます。
マーガレット王女
それまで王室内でダイアナの味方になってくれたのは、マーガレット王女だけでした。
以前からチャールズとカミラの関係を知っていた王女は、知らずに貧乏クジを引いてしまった若いダイアナに同情的だったのです。
仲が良かった頃のマーガレット王女とダイアナ
そのマーガレット王女が、ダイアナの暴露に対し激怒してしまいました。
自分の子供達にも、ダイアナとの付き合いを禁じた程です。
マーガレット王女には若い頃、恋人のタウンゼント大佐に離婚歴があったため、結婚を許されなかった辛い過去があります。
王女が涙をのんで彼との結婚をあきらめたのは、王室の権威とエリザベス女王の立場を守るためでした。
ダイアナの暴露は、マーガレット王女が大きな犠牲をはらってまで守った王室の権威に泥を塗り、女王を侮辱したも同然でした。
女王の決断
女王も皇太子夫妻の不仲を知っていましたが、当初は離婚を許す気などなかったようです。
ところが暴露合戦を始めた上、二人は公務先でも放送事故レベルの不仲ぶりを披露してゴシップ雑誌を賑わせたため、とうとう女王は皇太子夫妻に離婚を勧告しました。
この決定は、ダイアナ妃にとって予想外の打撃でした。
彼女は女王が皇太子の離婚など認めるわけがない、と思っていたのです。
暴露したのは皇太子とカミラに恥をかかせて王室に一矢報いたかっただけで、離婚するためではありませんでした。
ダイアナの言動は戦略や思慮に欠け、思いつきや感情にまかせた軽率なものに見えます。
一方、チャールズとカミラにとって女王の決定は喜ばしいものでした。
特にカミラにとって。
愛人のまま終わると思っていたのに、突然、将来王妃になれるかもしれないという希望が示されたのです。
これで2人は晴れて公認のカップルとして、公の場に出ることができます。
離婚によってダイアナは多額の慰謝料を手に入れましたが、妃殿下の敬称と王室の庇護と威厳を失ってしまいました。
離婚後も宮殿への出入りを許されていたセーラ妃とは違い、女王の怒りをかったダイアナは冷遇されました。
離婚後のダイアナ
離婚後のダイアナは、精力的に慈善活動に取り組みました。
貧困やエイズ、地雷撤去など。
子供達や傷ついた人々に寄り添い、世界中の人を啓蒙する活動こそダイアナが本領を発揮できる場所でした。
ダイアナ元妃に寄せられる賞賛や人気は、「英国の皇太子妃」ではなく「レディ・ダイアナという個人」に向けられたものとなりました。
それと同時に彼女の恋愛も注目の的となり、パパラッチに追い回されることになりました。
ダイアナの恋人とされていたのは、インド人医師や武器商人の息子でイスラム教徒のドディ・アルファイド氏です。
将来の英国国王の継父をしては、どちらも理想的とは言えない人選でした。
元皇太子妃にふさわしい資産家や貴族など、いくらでもいたはずなのに。
王室に復讐するために、あえて彼等が一番嫌がる相手を選んでいたとも言われています。
謀略の疑いのある事故で命を落とした時、ダイアナは妊娠していたという噂も。
王室への非難
ダイアナの事故を知った時の王室の反応は、とても冷たいものでした。
彼等は「もう王室とは関係ない」といった態度で、弔意を表すこともしませんでした。
女王は冷淡にも、「事故にあったダイアナが、王室のジュエリーを身に着けていたら、すぐに回収してくるように」と側近に指示を出しています。
悲しむ王子達を見て、良心の呵責を感じたチャールズ皇太子が「特別機で遺体を引き取りに行きたい」と訴えても、女王は「王室の人間ではないのだから、民間の霊安所に安置すればよい。後はスペンサー家の問題です」と答え許可を出しませんでした。
女王は通常通りの生活を続け、特別な声明を出す気すらなかったそうです。
皇太子妃ではなくなったダイアナなど取るに足らないと、高をくくっていたのでしょう。
宮殿の国旗が半旗にならないことに、ダイアナを悼む国民からは不満の声が起こりました。
避暑先のスコットランドからロンドンに戻った女王は、宮殿前に積み上げられた花束を見て、やっと事の重大さに気づいたといいます。
ダイアナは、女王が思っているよりずっと多くの国民に敬愛されていました。
彼女はゴシップ欄を賑わすだけでなく、真剣に慈善活動に取り組み尊敬を集めていたのです。
チャールズ皇太子とカミラはそれまで以上に憎まれ、女王も「ダイアナに冷たかった」と非難を浴び、ダイアナの死を悲しむ国民の気持ちは、王室への敵意に変わりかけていました。
国民の支持を失うことを危惧した女王は譲歩を決意します。
女王の敗北
宮殿の国旗を半旗にしたのは前例のないことで、この事だけでも女王にとっては大変な屈辱でした。
女王はダイアナを「王室とは関係ない人」として扱うつもりだったので、本当はそれ以上のことをする気はなかったようです。
当時のブレア首相はダイアナの事を「ピープルズ・プリンセス」と呼び、ダイアナから称号を奪い冷遇した王室を遠まわしに非難しました。
冷たい王室への非難の声はさらに高まり、英国の君主制が危機に瀕した瞬間となりました。
君主として自分の決定を変えたことなどなかったエリザベス女王は、ついに国民の声に屈しました。
ダイアナの葬儀は、前例のない君主並みの準国葬形式で行われ、女王は深くお辞儀をしてダイアナへの弔意を表しました。
女王が頭を下げるのは異例のことです。
ダイアナの人気の前に、女王は生まれて初めて膝を屈しました。
君主が崩御した時と同じ扱いの葬儀を執り行ったのは、女王にとって屈辱的な譲歩でしたが、そうせざるを得ない程、危機的な状況だったのです。
ダイアナに激怒していたマーガレット王女だけは、最後までダイアナの葬儀を王室が執り行うことに反対したそうです。
彼女はダイアナの棺を前に、頭をあげたまま見送りました。
永遠のプリンセス
ダイアナ元妃は悲劇的な最期によって、人々の記憶に永遠に残ることになりました。
立派な君主として生きることに人生を捧げたエリザベス女王は、多くの国民から尊敬を得ましたが、若く美しいまま散ってしまったダイアナ元妃は伝説となりました。
カミラは女王や国民の信頼を得ようと長年にわたって努力はしましたが、人気はダイアナの足元にも及びません。
チャールズ国王とカミラ王妃を見る度に、国民の多くはダイアナ妃を思い出しています。
カミラがダイアナのジュエリーを身に着けた時も、国民から「無神経だ」と非難の声が上がりました。
人々のレディ・ダイアナへの愛は、何十年たっても衰えることなく、英国のシンボルとして女王と並ぶ永遠の存在となりました。
女王の人気が女王個人のものではなく、王室の歴史と伝統に対するものであるのに対して、ダイアナの人気は「レディ・ダイアナという個人」に向けられたものになりました。
皇太子妃時代は王室に反旗を翻したダイアナ妃ですが、亡くなった後は「ピープルズ・プリンセス」として、女王や国王、王室すらをも超えた存在となったのです。