凶弾に倒れた安倍元首相の慰霊碑建立の設置が検討されています。
これまで全く慰霊碑についての動きが報道されなかったため、「高市さんのお膝元なのに自民党の議員は何やってんだ」など、色々と疑っておりました。
でも事件直後から、ちゃんと慰霊碑建立のために動いてくださっていたのですね。
メディアからよってたかって妨害されるのを避けるため、あえて何も言わずに進めるしかなかった・・・
疑ったりして、本当に本当にごめんなさい。
覚えておかなければならないのは、「私達が慰霊碑建立のために、声をあげたりツイッターで罵倒して圧力を与えたから事態が動いたのではない」ということです。
小坪しんや氏のブログによると
「安倍元総理が凶弾に倒れた、その直後から自民奈良県連は動いていたことを証言します。奈良県の政治家たちは、安倍元総理をあんなところで街頭演説をさせた結果として、テロリストの手により失う現況を作ったこと、守れなかったことに責任を感じてきました。」
「この慰霊碑のことは高市早苗奈良県連会長ご自身が先頭になって建立を推進してきた」と、新澤良文議員(奈良県町村議長会会長・高取町議会議長)が明確に証言しています。
事件直後から始まった「トーイツトーイツ」大合唱のせいで、この計画は潰されてしまう危険がありました。
ノイジーマイノリティが騒いで国葬の時の二の舞になってはいけない、という懸念があったため「慰霊碑建立の推進計画」は、水面下で進めざるをえなかったのです。
奈良の難しい事情
奈良に慰霊碑を建てることは、県外に住む者にはわかりにくい事情があったそうです。
人の多い東京駅でさえ、暗殺された浜口雄幸や原敬の、慰霊プレートが設置されているのに、いくらでも空いた土地がある奈良に、なぜ慰霊碑が建てられないのか。。。と無知な私は思っておりました。
でも、大和西大寺のあの場所は特に難しい場所であったようです。
- 行政用の土地なので、右から左に動かせるものではない
- 奈良市の事業計画によって道路工事が行われている場所であった
- 道路工事は交通渋滞を緩和するための都市計画の一部であった
- 奈良はちょっと掘れば遺跡が出てくるため、この道路工事も相当な苦労の末に実現に至ったものであった(つまり計画変更は難しい)
あの場所を思い出す度、皆「あの場所に慰霊碑を建てて、花壇を作って安倍総理を悼むための場所を作って欲しい」と思っていたはずです。
事情を知らない者から見れば、簡単な事に思えた・・・
当たり前に、すぐできる事だと思っていた・・・
だから慰霊碑の話が出ないことに、疑問を感じたのでした。
奈良県では土地の取得(遺跡のせいで)が難しいことを、県外の者は知らないので「何もしてくれないの?」なんて思ってしまったわけです。
仲川という奈良市長が「花壇やプレートは事件を思い出して悲しい思いをする人がいるといけないので」なんて意味不明な理由で、設置を認めなかった事は記憶に新しいですよね。
奈良市長の仲川げん氏(民主党推薦)は、あの日、安部元首相のすぐ横でテロの一部始終を目撃した人でもあります。
これに対して、「なぜ奈良の自民党議員たちは、抗議してくれないのか」とも思っていました。
でも、こんな人達に慰霊碑建立の計画を妨害される事を恐れて、高市早苗さんや自民党奈良県連の議員さん達は、何も言い訳せずに水面下で頑張ってくれていた、ということです。
きっと今まで、面と向かって「何もしないつもりなのか」と罵倒されたこともあったはずです。
お詫びと共にお礼を申しあげます。
ありがとうごさいました。
高市早苗さんが総理大臣になる日が、一日も早く来ますように。