日常ふとした瞬間に、亡くなった方の事を思い出したり、その人の顔が浮かんできたりすることがあります。
繰り返し夢に出てきたりとか。
それは自分の先祖や家族とは限りません。
亡くなった方のことが何度も脳裏に浮かんできた時は、その方が私達を懐かしく想ってくれたり、守っていてくれる合図でもあります。
また生前、気遣ってくれていた気持ちが残っている場合も。
私もそんな経験がありました。
ある時なぜか、ある方の顔が度々鮮明に浮かんでくるようになりました。
その方は時計屋さんで15年以上前に、私が母と一緒に時々寄っていたお店の御主人でした。
時計以外にも、宝飾品や海外で買い付けてきた凝った銀細工などを、扱っていました。
私が行くといつも嬉しそうに、お店の奥から珍しいものを出してきてくれました。
もしかしたら当時20代だった私のことを、孫のように思っていてくれたのかもしれません。
30代に入ってからも、当時そのお店で買った指輪や時計を見ながら、時々そのご主人を懐かしく思い出すこともありました。
でも何度も、お顔が鮮明に浮かんで来たのはなぜなのか・・・
霊能者である師匠に相談した所、
「あなたを孫のように思っていてくれた方です。優しくて品のいいおじいさんの顔がみえます。懐かしく思ってくれてるようです。」
と言われました。
あちらも同じように、私を懐かしく思っていてくれた・・・そう思うとちょっと嬉しくて暖かい気持ちになりました。
「一度、自宅で供養して差し上げるといいですよ」
と言われたため、半紙にその御主人の名前を書き、御供養しました。
フルネームは知らなかったので、屋号と苗字だけで。
お経を上げている時、突然涙がポタポタ頬を伝って流れる程あふれてきました。
泣くほど親しかったわけではなく、お亡くなりになって年月も経っています。
懐かしい気持ちはありますが、泣く程悲しいという程でもありません。
「なぜ涙が??」と想いながら御供養を続けました。
普通、泣く時はしゃくり上げたり、肩が震えたりするものですが、この時は平常心なのに涙だけが流れるのです。
「あの頃、親切にしてくださってありがとうございました」
「いっぱいキレイな宝飾品を見せてくださって嬉しかったです」
と心の中で思いながらお経をあげました。
号泣?といって良いほどの泣きっぷりであったにも関わらず、お経が終わった途端ウソのようにピタリと涙は止まりました。
これは喜んでくださった合図なのだそうです。
私の拙いお経は、ちゃんと届いていて合図をくださったのかもしれません。